芹沢銈介美術館は人間国宝の芹沢銈介さんが静岡市に作品とコレクションを寄贈したことをきっかけに建設されたものです。

建築家の
白井晟一さんが設計による建物や日本で珍しい染色作家の美術館として多くの人々が訪れています。

現在収蔵されている作品は約800点コレクションは約4500点で年に3回展示替えが行われ順次公開しています。
 
 
登呂遺跡   吉野ヶ里遺跡
 
 
 弥生時代を代表する遺跡は登呂遺跡だけでなく吉野ヶ里遺跡もありますが、大きな違いがあります。吉野ヶ里遺跡はクニの中心的な集落の全貌や弥生時代の700年間の移り変わりを知ることができますが、登呂遺跡は集落の細かなところまで見れるところや敗戦後日本人が自信を取り戻し文化国家を建設するきっかけとなりました。
1943年登呂には軍需工場が設立されようとされていて、工事中に土器の破片・木片が見つかりました。発掘調査が開始され住居跡・倉庫跡・土器・石器などが発見された。しかし空襲によりほとんどが焼失してしまいました。焼失した後も学者が何人か集まり静岡市登呂遺跡調査会が結成されました。

しかし調査経費の調達が難しいため多くの人が手弁当で参加して1947年
再発掘調査が実施されました。
市内の中学校・女学校の生徒を中心に
静岡市古代史研究学徒会が結成され登呂遺跡の普及に大きな役割を担うことになりました。

発掘調査が行われた2ヵ月間NHK静岡放送局は「今週の登呂」と題し毎週学徒会の生徒による発掘経過と遺跡の概要報告を紹介をしました。こうした結果発掘資金の乏しい現状と参加者の熱意が伝わり日本中から多くの手紙が届き登呂遺跡に注目しました。

このように登呂遺跡の発掘は神話に基づく戦前の歴史に変わり、科学的な発掘調査により本当の歴史を知る戦後再出発の活動として、
戦争で心身ともに傷ついた日本中の人々の心にもう一度日本を再生させようという希望を与えました。