地場産業とは、昔ながらの手法と改良を
重ねながら
地域との深い係を持って育った産業で
生産量、生産額ともに市・町・村の中では、代表的な
産業を一般的に
地場産業と呼んでいます。
 
 江戸時代には、色々な職種の職人さん達が互いに協力して、物を作るために住んでいた一定のまとまった地域(職人町)があった。例えば、浅間神社の神器や領主などに納める食器作りには、木地師や塗師といった職人さん等が一定の地域に住み、そのうえに自分の得意とする技術を持ち寄り、協力して作っていました。
※現在では、交通手段が発達しているため地域という枠を必ずしも必要としませんが、江戸時代には、一定の地域の中に住んでいないと非常に不都合な事がありました。また地域の中には、作られている物の名前や作られている物の文字が入っている地名があります。
 
静岡の地場産業は、駿府城や浅間神社
久能山東照宮の建築などの大きな事業に支えられて発展してきました。
中でも今から381年前1634年に徳川三代将軍家光により建て替えられた浅間神社が、今日の地場産業の発展に大きな影響を与えました。
この浅間神社は
10万両という多くの費用と、60年のという長い年月をかけて完成しました。 
 
この職人さん達の仕事は、自分の代だけでは終わらず子供や孫の代までも続く大きな仕事であったために一家をあげて駿府に移り住みました。
これらの職人さん達は浅間神社が完成した後も、駿府の気候や、自然を好みそのうえに神社やお寺、大名などが使う道具を作る仕事が数多くあったことから駿府に定住することになりました。
そして自分の得意とする技術を磨きながら自分の持っている技術を地域の人々に教え伝えてきたのが
静岡地場産業の始まりとされ言います。 
 
静岡市には現在、木製家具、仏壇、駿河漆器、建具、木製雑貨駿河竹千筋細工、木製文具、木製はきもの、プラスチックモデル、ひな具ひな人形、木工機械、サンダル、製材、金属製品、静岡挽物、駿河指物、駿河蒔絵、駿河和染など18業種の地場産業があります。
これらの地場産業は、職人さん達が自分の持っている技術を人の手から手へと伝えながら、その技術にさらに工夫と磨きが加わって、現在ある地場産業へと発展してきました
 
 
現在、静岡市の地場産業は、後継者不足や職人さんの減少などに加え、輸入製品の増加等により販売競争がますます激しくなっています。その中で、多くの人達が興味を持って愛用してくれる製品を、いかに効率よくつくれるかが大きな問題となっています。 
参照 静岡信用金庫
    静岡特産品解体新書
 
・今現在価格競争は全盛期よりはなくなってきている。
・なぜ後継者不足や職人さんの減少が起きているかというと日本の企業が安い海外に移ってしまい日本で生産することをやめてしまったせいで工場がなくなりその影響でこのような問題が起きてしまった。
・現在は安かった海外もコストが高くなってきたために日本に戻る傾向がある。がいったん止めてしまったものは簡単には戻せないため日本でのやり直しは難しい。
・これからの時代は職人さんが仕事を選べるようになる可能性がある。