のページでは皆さんご存知!徳川家康公と静岡の関係について紹介していきたいと思います!!

家康公は少年期・壮年期・大御所3度にわたって静岡にいました。

家康公は75歳でその生涯に幕を閉じたわけですが

当時の庶民の平均寿命は40歳なので普通の人の2は生きていることとなります!

現代で言うと平均寿命が80歳ですので、単純計算で160まで生きたことになります

大変、健康長寿ですよね!その長い生涯の3分の1を駿府で過ごしたというので,また驚きです。
それに加え静岡にいた時期は、家康公の人生の中でもハイライトな時期でした。
家康公は大変、静岡(駿府)の街に愛着を持っていたことがわかります。

 

家康公が静岡にいた頃、江戸時代96ヶ街が静岡にあり、その頃の名前が

 今も静岡の街に残っている。(例:両替町・呉服町など) 

京都から来る人たちにしっかりと駿府城と富士山が一緒に見えるように

計算されて駿府の町は作られていたそうです。道は敵から攻められないように

複雑に作られていました。このように防衛機能もしっかりとしていたのです。

この鷹匠とは鷹狩りのためにを飼いならす人・鷹使いのことを言います

 “家康公の鷹”を英才教育する鷹匠集団のいた町が現在の静岡市葵区鷹匠町です。

 鷹を下手な育て方をすると打ち首などもあったそうです・・・

 それだけ家康公は鷹狩りに愛着があり、生涯に渡る楽しみだったということですね。 

家康公は知的好奇心がとても旺盛であらゆる分野においてトップ争いが見たかったそうです。

その中の一つが囲碁や将棋です。優れた人を集め議論させたり、
競わせたりして優勝した人に給料(土地)を与えたそうです。
このような行事を現在静岡県静岡市葵区横内町にある
来迎院で行ったそうです。
現代にいるプロの
棋士さんなどの起源は、家康公が江戸時代に来迎院で行ったこの行事とされています。

※注意※あくまでも上記はです。

 
一富士二鷹三茄子

みなさんもよく知っている初夢の際見ると縁起が良いとされている一富士二鷹三茄子!

 これは家康公が静岡で好んだ物が富士山、鷹狩り、初物の茄子であることから
伝説の由来となっているという説があるようです。

 この富士山と鷹狩りと初物の茄子は、富士山は皆さんもご存じのとおり家康公も好んだ高い山、
家康公が好きだった鷹狩り、当時は
促成栽培家康公が特別に作らせて楽しんだという高価な茄子この3つが
一富士二鷹三茄子として現代まで伝わったそうです。
 

家康公が眠る久能山東照宮!

この久能山東照宮という建物は名古屋城なども作られた中井大和守正清という
大工と職人により作られたそうです。

中井大和守正清は大工として非常に有名でその「権現造」と呼ばれる様式が価値が
高いということで国宝となりました。

また久能山東照宮を作る際には全国から職人が集められたそうなのですが、
その職人たちがそのまま静岡に住み移ったそうです。

その技術の高い職人たちが静岡に住み移ったことにより、静岡では
伝統工芸
などが発達したのではないかといわれています!

またこの久能山東照宮は当時1年半で完成してしまったそうです。

現代では塗り替えだけで7年もかかるのに1年半で完成させてしまうなんて驚きです!

当時の幕府の計り知れない財力がわかりますよね。

久能山東照宮の建設は
国家の一大事業だったのです!

 

またこの久能山東照宮には逆さ葵という
葵の御紋が逆さになっている
隠れ葵があります。

葵の御紋といえば当時、それを見せれば
皆がひれ伏すような価値の高いもの!

その葵の御紋が逆さに使うなんて
とても罪深いものでした。

ただし、久能山東照宮には完成と同時に
崩壊が始まるのではないか
という言い伝えがありました。

そのため建物をわざと未完成にするのに
葵の御紋を逆さに使ったそうです。

あえて建物を完璧に作らず、
常に成長し続ける終わりがないように
といった思いもあったそうです。

逆さ葵は4あるそうです!
是非探してみてください!

このように徳川家康公と静岡は大変密接な関係にあり、家康公が愛した町静岡はこんなにも、
たくさんの名所があって秘密があって、とても面白いと思います!

家康公が400年前に歩んだ人生を自らの足で見に行くことで、
いろいろな驚きや発見が見つかるかもしれません!

是非、江戸時代にタイムスリップした気持ちで静岡の町に遊びに来てみてください!

 
 取材協力:徳川家康公顕彰四百年記念事業 静岡部会事業実施本部 様
参考:家康公が愛したまち静岡
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